「死亡債」というのがあるらしい。

 

 面白い。久しぶりにSFの様な話だ。
 「金貸しシャイロック」とかいう反応が多いっつーか、まあ実際そうなんだけれど。
 資本主義の狂人の様なシャイロックの商売に、現実が追いついてしまいました、という。


 景気低迷からいまだ立ち直りを見せていない米国では、これまでとは打って変わり節約志向が顕著となり金融市場への投資意欲も著しく減退している。
 そのような中、一部の投資家に注目を集めているのが、「死亡債」(Death Bond)だ。これはまだ生きてる人の生命保険を買い取り、それらを何千人単位でまとめて証券化したものだ。
(中略)
 まず保険加入者にとってのメリットは、本来死亡後に支払われる生命保険が、生前に受け取れるという点だ。保険加入者の中には、金融危機により失業したり投資に失敗した人も多く、彼らにとって月々の保険料は経済的に大きな負担になっている。そこでこれを金融機関が買い取り、その生命保険の受取人になることで、保険の加入者は死ぬ前に現金を手にすることができるのだ。
(省略)
 一方、投資家にとってのメリットはリスクが低く、収益が安定しているという点だ。景気がどんなに上下しても人の死亡率にはほとんど影響はない。今回のような世界同時株安で株式価格や原油価格が全面的に下落しても、死亡債への影響はなく、一定の収益が確保される。


米金融界で注目され始めた「死亡債」 ・・・薄気味悪いと評されながらも市場拡大:アルファルファモザイク

 ファンド側としては、要は被保険者が早く死んだほうが儲けが多いということなので、まあその辺が倫理的問題と言われとる訳ですが、「景気がどんなに上下しても人の死亡率にはほとんど影響はない」と来たもんだ。
 このレトリックだけで安価なシェイクスピア節に聞こえなくもない。


 正直「慰めの報酬」の水資源ってだけでも素直に驚いていたピュアボーイとしては目からウロコである。そしてコレは資源(現物)ですらない。死の先物取引
 なんか水木しげるの漫画にそんな話があった気がする。一見してシンプルで誰も損をしていないのも目を惹くが、多分金利にトリックがあるのだろう。


 だがそれが何故残酷な響きを持つのかと言えば、それはきっと人の生き死にが実態の無い記号と同列に扱われているからだ。経済活動とは現実を記号に変換する行為だ。
 「先物取引」という存在すらしない物を売り買いする行為が好例だろう。
 経済活動に組み込まれるということはそういう事だ。
 人の命が経済活動に組み込まれるということは、人の命が記号として扱われることと、同じ事である。


 勘違いしては困るのだが、これは「死」が記号として取り扱われるから危険なのではなく、それがたとえこれが「生」を取り扱うことであったとしても、等しく残酷な事なのだ。
 MGS4の戦争経済が残酷であったのも、ハーモニーの医療経済・福祉厚生社会が残酷であったのも、コインの表裏で全く同じことだ。

 
 しかし――アレですね、保険金殺人とかは無くなるかもしれません。
 ただ生命維持装置のスイッチを保険屋が切りに来るって可能性はあるかもしれません。って、なんか「世にも奇妙な物語」みたいなオチじゃん!

ヴェニスの商人の資本論 (ちくま学芸文庫)

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