ライトノベルの次に。

 
 本屋のラノベコーナーに立ち寄ると、オッサンが3人で立ち読みしていた。
 極彩色の背表紙。アニメ美少女。キッチュなタイトル。そしてオッサンが3人。
 それぞれが電撃・スニーカー・富士見を手に取っている。コーナーの幅的にも悪くないバランスだ。なんだか楽しそうだったので私も黙って加ることにする。
 コーナー幅の間隔を守る為、青い背表紙のガガガ文庫のコーナーへ。
 他の棚よりもタイトルのテンションが凄まじい。キッチュすぎる。
 頓着せず、とりあえず一番最初に目に付いた背表紙を手に取ってみる。
 武林クロスロード。


 そのまま50ページくらい読み続け――
「……意外と読めるな。2、3日本屋に通い続ければ立ち読みで読みきれそうだが――」
 などと思わず本気で計算した俺は、さっさと氏ねば良いと思う。




 詰まるところ今日言いたいのは俺はオッサンじゃねぇ――ではなく、ラノベの世代感の話だ。
 ラノベの進化が「萌え〜」を主流としつつある中、僕は密かに有川浩桜庭一樹に未来を感じている。何故かと言えば単純に、彼女らがニュータイプだからだ。
 彼女らの作風には他のライトノベルと違った「次の進化」がある。
 
 ラノベ読者の世代の入れ替わりは早く、「スレイヤーズ!」や「ブギーポップ」にリアルタイムに触れていた世代は言うまでもなくもう大人になって、その一部は作り手に回っている。
 それを読むのは当然次の世代で、きっと更に次の世代からも同じように新たな作り手が現れるのだろう。次の世代も、その次の世代も〜という具合いで。


 しかして、ラノベを読んで大人になったひとは、大人になって何を読めばいいのか。
 漫画は大人向けの物は多い。ゲームは大人でも遊べる。ではラノベはどうだ。
「この歳になってもラノベが読みたいが、内容的にはもっと凝った感じの奴が喰いたい」
 とか、
ラノベは読みたいがティーン過ぎるのはハズい」
 という人は少なくなくて、旧世代は大人になっている。
 だがそのニーズに耐えうる作風を持つ作家は少ない。


 こういう世代感を一番ハッキリと意識している作家が有川浩だろう。
 彼女は「自分が大人になってもライトノベルを読みたいから」という理由で本を書き、ハードカバー作品ばかりを書きながらも「ライトノベル作家」を自称している。(僕はSF作家だとばかり思っていたが) 
 一時は「ファウスト」出身の作家達にそういう時代感がある気もしたが、彼等は「ファウスト系」とでもいうべき一ジャンルを作っている様なので、これはきっと別カテゴリだろう。


 彼女らの作風の先には一般文芸でもなく、ライトノベルでもない新しい形態がありそうだ。
 ライトノベル的な表現方を使って、ライトノベルに無い内容を扱い、描く。
 そこでは東浩紀が言うのとは違った文学性やリアリズムが描けると思う。
 これを何と呼ぼう。ハイ・ライトノベルとか? ニュー・ライトノベルとか?


 できれば男性からもこういう作家が出て欲しいものだが、逸材というのはなかなか現れない。
 男性のラノベ読者は大人になるとエロゲーにでも行っていまうのだろうか。
 私の隣でラノベを読んでいたオッサン達は新人類だったのだろうか。
 それとも旧人類だったのだろうか。
 もしかして猿人だったのか。


 ヤングガン・カルナバルを書いた側から武林クロスロードを書いたと思えばゴルゴタを書いたり、そういえばカンフーハッスルのノベライズを書いていた様な気もする深見真はやっぱり超人類なのか。それともただの「時々どうにかなっちゃうアレな人」なのか。


 スティーヴン・キングの「ジェラルドのゲーム」を読み、とりあえず自分もベッドに大の字になってみたりしつつ、お猿さんはそんなことを考えていましたとさ。
 荒野 図書館戦争